2008年10月13日(月)
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ニコデモのこと

最近なぜかニコデモが好きです。こないだの日記に書いた小田さんともダブって見えるからかもしれません。ニコデモはユダヤ人の指導者で、律法を厳格に守ってて、世間ではりっぱな人、偉い人だったんだと思います。だけど心はなぜか満たされなくて。でもユダヤ人の中では、そんな思いを告白することはできませんでした。ある日、ニコデモはイエスさまを知りました。そのときニコデモは、イエスさまの中に何かを感じたんだと思います。ある日の夜、ニコデモは人目を避けて、こっそりイエスさまのところに行きました。年寄りのおじいちゃんが、若者のイエスさまに頭を下げ、たずねました。以下のみことばは、ニコデモが救われる経緯です。涙が出ます。私もイエスさまのところに来て救われました。きょうは私の受洗記念日(17回目)なので、こんなこと書いてみました。

さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネの福音書 3章1-15節)

すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」(ヨハネの福音書 7章47-52節)

そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所にイエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。(ヨハネの福音書 19章38-42節)

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