2009年2月21日(土)


他人の評価

弱い人は強い人に悪く言われて、そしたら弱い人は集まって、強い人の悪口を言って、自分たちを正当化する。こういう現象をあちこちで見ます。以前は、私もこの弱い人たちの集まりに参加して、一緒になって、強い人の悪口を言って、安心してたような気がします。でも最近は、この集まりに加わる気になれないんですよね。クリスチャンの中にも、この世と同じように、こういう現象が存在します。弱い人の気持ちは強い人にはわからないし、強い人の気持ちも弱い人にはわからない。それ以外にも、人間にはいろんな部類の人がいます。それぞれみんな、他の部類の人の気持ちはわかりにくかったりします。だから悪口を平気で言えるんだと思います。でもその中に、偽善という行動も混じっていて、病気の人の気持ちは分からないけど、わかる(同情の)ふりをする人もいます。そういう人に限って、健康に見える人に対しては、手のひらを返したように冷たかったりします。でも結局は、人は人の気持ちが本当には分からないんだと思います。だから他人の評価は気にしちゃだめだと思います。クリスチャン同士でも同じ。私を造ってくださって、私よりも私のことをご存じな神さまを見上げること。それに尽きると思います。神さまから目を離さないでいると、自分を見つめて落ち込んだり、他人の悪口を言ったりすることから守られると思います。何となく、自分に言い聞かせるつもりで書きました。

心がその人自身の苦しみを知っている。その喜びにもほかの者はあずからない。(箴言 14章10節)

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙 4章15-16節)

  コメントを読む()


BACK