2009年5月4日(月)


決して見捨てない愛

湯船に入ってぼんやりしてると、ふいにイエスさまに止められた日のことを思い出した。私がどうしても行こうとして、そのときイエスさまに止められたのがわかった。でも結局、私は聞かなかった。そんな私をイエスさまは見捨てないのです。人は私を見捨てます。イエスさまの十字架の愛は、自分の命を捨ててまでも、私を救おうとする愛です。私が言うことを聞かないくらいで、私を捨てるようなちっぽけな愛じゃないのです。そのことを以前は知りませんでした。でも長いことかかって、だんだんわかってきました。これから先、もっともっとわかっていくんだと思います。そして天国に行ったとき、私はイエスさまのことをホントに知るんだと思います。

あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない。』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。(エレミヤ書 22章21節)

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。(エレミヤ書 31章3-4節)

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(コリント人への手紙 第一 13章12-13節)

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