2009年6月5日(金)


御霊の不思議

ある事件の受刑者が釈放されたニュースで、取り調べの苦痛から逃れるために嘘の自白してしまったことが報じられていました。それを見てて、ふと、以前、教会の家庭集会で、上司と話した「江戸時代のキリシタン弾圧」のことを思い出しました。上司は「踏み絵は踏まずに殉教する」って言いました。私は涙が出そうだったけど、「わからない」って言いました。見せしめみたいに、知り合いの信徒たちが残虐な殺され方をしてるのに。私が言えるのは、神さまが私を聖霊で満たしてくださったら、そのときは、私は喜びに満たされて、踏み絵を踏まないんだと思います。イエスさまが捕まったとき、弟子たちは恐れてみんな逃げてしまいました。この弱い弟子たちを変えたのが聖霊でした。そして多くの弟子が殉教しました。私も同じように、喜びに満たされてるときと、ただの人になってるときがあります。ただの人になってても、私は気づかなくても、私のたましいは御霊から神さまの愛を受け取ってるんだと思います。だから私はただの人であり続けることはありません。どんな状況になっても、希望をなくすことはないんです。基本は弱いけど、神さまがともにいてくださるから大丈夫なのです。(注)御霊(=聖霊)=イエスさま=神さまです。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙 5章5節)

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ人への手紙 8章26-27節)

もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。(コリント人への手紙 第二 5章13節)

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