2009年12月3日(木)


信頼して受け取る

また「JIN -仁-」からのネタですけど(笑)。このドラマを見てて、ふとイエスさまの十字架のことを思いました。そして「イエスさまが約二千年前に十字架に架かって死なれたのは私のため(すべての人のため)である」ことの説明として、「神さまは時間を超越した方だから」と(わかったような顔をして)説明することに、ふと違和感を持ってしまった。前のホームページをやってたとき、この説明をどこかに書いたと思うけど。でも「神さまがこう言われるからこうなる」が的確な説明のような気がするのです。神さまがこうと決めたから、そうなったんだと思います。私があることを計画しても、その通りにできないことはよくあります。また決まり(法律など)を作っても、年月が経過すると時代に合わなくなるから、「○年後に見直す」という文章を条項の最後に付加しているものもあります。でも神さまが決めたら、100%その通りになります。人間はそのすべてを理解することはできないけど、神さまがそう決めてくださったんだから、神さまに信頼してそれを受け取る。それが信仰なんだと思います。

わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。わたしは、東から猛禽を、遠い地から、わたしのはかりごとを行なう者を呼ぶ。わたしが語ると、すぐそれを行ない、わたしが計ると、すぐそれをする。(イザヤ書 46章10-11節)

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。(ヘブル人への手紙 11章1-3節)

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