2010年1月31日(日)


生ける石

人は見捨てても、イエスさまは見捨てません。イエスさまご自身が人に捨てられました。イエスさまご自身が人間の弱さを味わわれました。だからイエスさまは人を捨てません。人をあきらめません。今の私がその証拠です。

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ書 53章1-6節)

あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。(ペテロの手紙 第一 2章3-4節)

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