2010年3月6日(土)


朝ごとに新しい

最近、朝起きると、「あ、生きてる」と思います(笑)。別に重大な病気を抱えてるわけじゃないけど、なぜかそう思ってしまうのです。けさもそうでした。だから「イエスさま、新しい朝をありがとうございます」って言います。世の中は地デジ対策をする人が多いけど、地上アナログ放送が終了する頃まで、私は生きてるかどうかわからないのに(天国にいるかもしれないのに)、そんな対策を今からする必要があるんだろうかと思います。今のテレビも壊れてないのに、地デジ対応のテレビに買い換える(今のテレビを捨てる)のは、テレビがかわいそうと思ってしまうのです。私の部屋には光ファイバー(NTTの「Bフレッツ」)が入ってるので、「フレッツテレビ」(月額682.5円)にする予定なのですが、今もすでに申し込んでから工事まで2か月以上待ちの状態だそうです。だから私が今のテレビが壊れてから、または、2011年7月24日直前(2か月ほど前)に申し込んだら、ひょっとしたら、テレビを見られない期間ができちゃうかもしれないけど、それでもかまわないと思ってます。だからこの世で家を30年ローンを組んだりして買ってる人の話を聞いたりすると、ホントに大丈夫なのかなと思ってしまいます。30年の間に失業するかもしれないし、病気で働けなくなるかもしれないし。私は社会人になりたての頃、会社に保険のおばちゃんが来て、一つだけ保険に入ったことがあるけど、結局、転職する前の無職の期間に生活費が足りなくなって、その保険を解約しました。戻ってきたお金は生活費に充てました。イエスさまは「明日のことまで考える必要はない。きょう一日のことを考えなさい」って言われました。神さまは必要なものはちゃんと与えてくださるから。だから私は先のことは考えなくなりました。一日一日をこれからも生きていきます。神さまの恵みを喜びながら。

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。(哀歌 3章22-24節)

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書 6章25-34節)

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