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今は心が子どもすぎて 中島みゆきさんの「ひとり」のフレーズをふいに思い出して、トイレで涙が止まらなくなりました。学生時代にFMラジオからカセットテープに録音して、よく聴いてた曲です。私はすぐに謝れないことが多いです。形だけ謝るなら私だってできます。Jリーグが始まった頃、ビスマルクっていう選手が、試合中に相手チームの選手とケンカをしてしまったら、すぐにひざまずいて神さまに謝ってて、それを見て私もうれしかったけど、でも本当に謝ることはなかなかできないと思います。人に対してもそうだけど、神さまに対してもそうです。神さまは私が罪を犯しても赦してくれるけど、神さまを信じてるから余計に謝れなかったりもします。しばらく神さまに「ふん」って感じで、しばらくお祈りをしなくなったりもします。私は最近、無理に謝る必要はないんじゃないかと思うようになりました。神さまは私が謝れないことも全部ご存じだから。神さまが私を導いてくださるということは、私の思い通りに事が運ぶことじゃなくて、私が神さまにつながって神さまを喜べるようにしてくださるということなんだと思います。それが神さまの喜びでもあるから。そういう中で私は、心から人にも神さまにも謝れるようになるんだと思います。私の体調が悪いのは、神さまが私に意地悪してるんじゃなくて、私を神さまに向けさせるためなのかもしれません。その証拠に、しんどくておふとんで寝てるときは、いつも神さまを思ってうれしいもん(笑)。だからこの世での最後の時間も、神さまが私の思いを越えて、喜びで満たして、祝福してくださるんだろうなと思っています。 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ人への手紙 4章11-13節) 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。(詩篇 18篇19節) ねぇ年をとったらもう一度会ってよね 今は心が子どもすぎて謝ることもできない いつか遠い国から長い手紙書いたら 封は切らず隠しておいて いつか年をとる日まで (中島みゆき「ひとり」より引用) コメントを読む() |
