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正しすぎてはならない きのうから考えてることです。(この世の基準で)いいことをしても人に好かれるとは限らないのです。逆に煙たがられたり、嫌われたり、いやがらせを受けたりする場合もあるようです。私も最近、同じアパートの(以前はよく立ち話をしてた)ある女性に嫌われてるような気がして、アパートの敷地や前の道の掃除を彼女に会わない時間を選んでやってます。気のせいだといいんだけど。私はほめられたいと思って掃除をしてるわけじゃなくて、ホントはしたくないのに(余裕がないのに)、もう一人の自分に命令されて仕方なくやってるんです。潔癖な性格から来てると思います。外に出てゴミや落ち葉が散らかってるのに気づくと、掃除をしないと気が済まないのです。でもホントは掃除はしたくないので、一週間くらい外に出ないこともよくあります。気づかなければ掃除をする必要がないから。だから私はホントは「正しい人」じゃないんです。そして私は余裕がないのに掃除をしてるから、余裕があるように見えるのに掃除をしない人を裁いてしまうんだと思います。だから「情け深い人」でもありません。聖書の言う「正しすぎてはならない」は、たぶんあわれみのない正しさ、神さまから離れた正しさのような気がします。たとえ自分が正しくても、相手を容赦なく責めるのではなく、相手に逃げ道を作ってあげるべきなんだと思う。だから「正しい人のために死ぬ人はほとんどいないけど、情け深い人のために死ぬ人は少なからずいる」んだと思う。「悪すぎてもいけない」も、たぶん神さまから離れた悪さ、愚かさのような気がします。自分の正しさを主張して人を裁くことの多い私。イエスさまはこんな私のために死んでくださいました。人はこんな私を好きにならないのに。こんな私のために死んでくれる人もいないのに。 あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。(伝道者の書 7章16-18節) 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙 5章6-8節) コメントを読む() |
