2011年1月16日(日)


ただで受けなさい

神さまがくださるものはみんなただです。私たちが何かをしたごほうびにくださるものではありません。私を造ってくださったのも、神さまが私を愛してるから。神さまの愛の対象だから。私を飾ってくださるための太陽の光、雲、風、花、木々。だから私は尊いのです。私は神さまの花嫁なのです。でも私は罪深くて、神さまを喜ばせることができなくて。だから神さまはひとり子イエスさまをくださいました。イエスさまもただでくださいました。それを子どもみたいに素直に受け取ること。それが神さまが私に求められたただ一つのことでした。努力して(歯を食いしばって)獲得することに慣れた人は、それをどうしても信じられないのです。それを素直に受ける気持ちになれないのです。だからいつか自分で努力して獲得する力がなくなったとき、神さまのくださるものを素直に受けてみてほしいと思っています。そしたらその人にとって私のすべてはわからなくても、神さまを信じる私の気持ちはわかるようになるのかもしれません。

ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。(イザヤ書 55章1-3節)

「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。(ヨハネの黙示録 22章16-17節)

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