2011年1月28日(金)


イエスさまがついてるから

私が「イエスさまがついてるから大丈夫」って言うと、悪者は「イエスさまはどう言ってるの?」「イエスさまは何をしてくれたの?」ってイエスさまを悪く言います。イエスさまも同じような言葉を投げかけられました(マタイ27:43)。イエスさまが何もお答えにならなかった(マタイ27:14)ように、私も何も言い返しませんでした。悪意を持った人に神さまのことを話しても無駄だから。詩篇の作者も「おまえの神はどこにいるのか」(詩篇42:3)って言われました。神さまを信じるということは、神さまがどう言われたとか、何をしてくださったとか、そういうことじゃないのです。御翼の陰に身を避けるというか、いつも神さまが私とともにいてくださることを信じてるというか、この世の人が求めてるような答えが神さまからなくても安心してる状態のことです。もちろん神さまが私にしてくださったことはいっぱいあって、だからこんなふうにずっと神さまを信じ続けられているんだと思います。だから先のことは心配しないのです。神さまに信頼しているのです。

主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。(詩篇 91篇4-6節)

神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩篇 36篇7-9節)

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。(コリント人への手紙 第一 1章26-31節)

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