2011年2月7日(月)


わたしにふさわしい者

イエスさまは私の行動範囲をどんどん狭めていきます。以前は無理をして行動範囲を広げようとしていました。当時はそれだけのエネルギーがまだありました。でも無理をすると、生活にしわ寄せがいきます。他の人と同じことをするのに、他の人に比べて余計にエネルギーを使ってしまうのです。すなわち、無理をしないと他の人と同じことができないのです。そしてだんだんそういう無理ができなくなってしまいました。そして私が出した結論は、「別に他の人と同じことをしなくてもいいじゃない」というものでした。私でもできること、私にしかできないことがある。イエスさまは私のまわりのいろんな道を通せんぼして、そのたびに私は立ち尽くして、どの道を行けばいいか、あたりを見回してる。今まで悪者に横やりを入れられて、通りにくい道を無理やり歩まされていたのですが、これからは悪者の言うことはいっさい聞きません。イエスさまが私のために、私のためだけに用意してくださっている道を見つけるために。イエスさまは私がイエスさまを待ち望むようにしてくださいました。

どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。(詩篇 119篇49-54節)

わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。(マタイの福音書 10章34-39節)

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