2011年2月26日(土)


神さまの領域

自分で何とかできることが減ってきた。たぶん自分ではどうしようもないこと(やろうと思ってもできないこと)は神さまの領域なんだと思う。神さまが私の領域をどんどんおおってくださる。そしていつか私の領域はなくなって、神さまの領域だけになるのかな。そしたら私はいつも神さまだけに頼る人になれるかな。私はだいぶ人間的なものを頼みにしない人になったような気がするけど、振り返ってみると、やっぱり人間的なものにいろいろ頼ってることに気づく。パウロは「キリストのゆえに自分の経歴や知識や正しい行いなど全部いらないもの(じゃまなもの)」って言ったけど、神さまはパウロのその知識をキリストを伝えるために用いてくださったんだよね。私もイエスさまのゆえにじゃまに思えるものがいっぱいあるけど、神さまはそんなものも用いてくださるのかもしれません。私もパウロと同じように、私をあきらめないイエスさま(神さま)の愛を伝えたくて、こんなことを日々書いてます。

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(ピリピ人への手紙 3章7-9節)

神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。(ピリピ人への手紙 3章3節)

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