2011年3月11日(金)


もしそうでなくても

激しい揺れがあったとき、私はトイレにいました。前からうすうす、そういうことになるんじゃないかと思ってました。地震に備えての避難訓練とかよくあるけど、私にはたぶんそんなことは通用しないのです。いつかまた大きな地震があったら、今度は私はおふろに入ってるような気がします。すぐに逃げられないのです。自分で自分の身を守れない私は、激しい揺れの中、ちゃんとイエスさまの名前を呼べました。アパートのみんなが外に出てる声が聞こえたけど、私はその中に入って「怖いね」っていう会話をする気にはなれませんでした。だってみんなはすぐに部屋から飛び出せる人なんだもん。少し内気になりました。トイレから出て、部屋の中を見回したら、ステレオの大きなスピーカーの片方が台から落っこちてたのが一番衝撃的だったけど、あとは95パソコンのモニターが動いてたのと、まだ開けてないお茶やジュースのペットボトルが倒れてたり、台から落ちてたり、オーブントースターや電子レンジが動いてたり、自転車のポンプが倒れてたり、それくらい。壊れたものはありませんでした。本棚に立ててる音楽CDがいっぱいあるけど、ぜんぜん落ちてませんでした。イエスさまは私を助けてくださるけど、私がすぐに逃げられなくて建物の下敷きになっても、私はイエスさまのところに行けるから大丈夫。怖くても大丈夫。イエスさまがともにいてくださるから。

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。(コリント人への手紙 第二 1章8-10節)

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル書 3章16-18節)

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