2011年3月19日(土)


足を洗わなければ

イエスさまが私の汚い足を洗ってくださると言うのです。だからペテロはいったんは断りました。私たちは「迷惑をかける」とか、「申し訳ない」とか、「自分のことは自分でできる」とか言うのです。人がひとり生きてゆくってことは、たぶん他人に少なからず迷惑をかけてしまうことなんだと思う。イエスさまは「洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」って言われました。私が罪人(つみびと)でなかったなら、イエスさまは私と何の関係もないんだと思う。私はイエスさまに迷惑をかけるばっかりの存在だけど、イエスさまはそんな私に仕えてくださる方です。

イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネの福音書 13章3-8節)

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイの福音書 20章25-28節)

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