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重荷は必要なもの 重荷は神さまがご計画を成し遂げるのに必要なもの。そう信じます。これがなければ、うなじのこわい私はすぐに変な方向に行っちゃうのかもしれない。神さまといっしょにいのちに歩むために必要なもの。ストレスに弱い私。夕方になってやっと楽になってきた。私は先を見すぎるような気がする。これをやったら次はこれ、そのあとこれもやらなきゃ。そう思うからへなへなとなってしまう。ひとつずつゆっくり、そのひとつさえ、「いつになってもいいじゃん」って思えたらいいのにね。ひとりだからかな?誰かがそばにいてくれたら、気晴らしに自然のきれいなところに無理やり連れて行ってくれて、私が勝手に決めてる「次はこれをやらなきゃいけない」を忘れさせてくれるのかもしれない。でも私はひとりじゃないんだよ。イエスさまがいるもん。みいたんもいるもん。イエスさま、これからも世話の焼ける私をよろしくお願いします。 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(コリント人への手紙 第二 5章4-8節) コメントを読む() |
