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インマヌエル 南野陽子さんの「ギャザー」を久しぶりに聴いてみたくて、WALKMANに入れてみました。このアルバムの最後に入ってる「MARIA」は、21年前にこのアルバムを買った当時も好きで、繰り返し聴いてた曲です。そのとき私はもう三浦綾子さんの本は読んでたと思うけど、教会にはまだ行ってませんでした。この曲の「MARIA」をイエスさまを産んで育てたあのマリア(新改訳聖書では「マリヤ」)と重ねていたかどうかは覚えていません。きょう久しぶりにこの曲を聴いたら、マリアとイエスさまのことを思って、思わず涙がポロポロこぼれてしまいました。「そんな少女だったよ」。イエスさまは罪にまみれた愚かな人間にご自身をゆだねられました。たぶんまだ10代の少女だったマリアは、御使いに妊娠を告げられて、不安の中でそれを受け入れて、イエスさまを産んで、一生懸命育てます。イエスさまはすくすく育っていきます。弱さや愚かさのそばにいてくださるイエスさま。そんな人間を通してみこころを成し遂げてくださる神さま。イエスさまは私のそばにも来てくださいました。 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイの福音書 1章23節) 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。(コリント人への手紙 第一 1章26-29節) 「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカの福音書 1章28節) コメントを読む() |
