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天上のかたち 天国に行ったら、肉体がなくなるから、性別もなくなるんだろうか?いろいろ考えるけどわからない。性別なんてなくていい。変な気づかいをしなきゃいけないし。また逆に変な気づかいをさせちゃうし。また天国は神さまとのつながりがとても強くて(神さまと一体になって)、横のつながりの強弱の違いは無視できるくらいになって、だから親しい人(親や兄弟姉妹、友達など)と赤の他人の違いがわかんないくらいになって、先に亡くなった親しい人に再会したいとか思わなくなるんじゃないかって勝手に思うきょうこの頃(笑)。親しかった人との再会を重要なものに思うことは、神さまが二の次になってしまうことだよね。それに地上で親しい人がいなくて孤独だった人は、天国でも会いたい人がいなくて、さみしい思いが永遠に続くことになっちゃうよね?そんなことを神さまがなさるだろうかと思って。神さまが一番なのが天国だから、地上での所属や地位、性別、友達などはもはや過ぎ去ってしまうような気がします。それに神さまが一番になると、横のみんなとも垣根がなくなって、みんな仲良しになるんだろうと思います。今の私には「みんな仲良し」は想像できないけど。 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ人への手紙 3章26-28節) あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。独身の女や処女は、身もたましいも聖くなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。(コリント人への手紙 第一 7章32-34節) 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」(マタイの福音書 19章10-12節) イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。』と呼んで、このことを示しました。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」(ルカの福音書 20章34-38節) 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。(コリント人への手紙 第一 15章49節) コメントを読む() |
