2012年4月20日(金)
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今は見える

トイレに入ってて、ふと小学生のころのことを思い出した。私はいろいろ習いごとをしてたし、学校の成績もよかった。でもいつも不安だった。苦しかった。あのころ私は何を信じて生きていたんだろう。お正月に家族で近くの神社にお参りに行った。でも私は神さまを信じていなかった。すてきな未来も信じていなかった。でも今はイエスさまによって神さまに近い者とされ、安心して未来に向かうことができる。苦しいことは多いけど、私の中に絶望の文字はないのです。

ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。(エペソ人への手紙 2章11-13節)

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―― あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ人への手紙 2章1-6節)

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」(ヨハネの福音書 9章25節)

神なく望みなくさまよいし我も
救われて主をほむる身とはせられたり
我知るかつてはめしいなりしが
めあきとなり神をほむ今はかくも
(聖歌 451番)

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