2013年5月1日(水)


ともにいてくださること

けさは雨が降ってたので、早々と買い物には行かないことにしました。甘いものが好きな私は、ごはんの前にチョコレート菓子を食べようとして、箱の中の袋を開けたのですが、またしても同じ失敗をやらかしてしまいました。手で持っていた袋の端を不注意にも離してしまって、袋の端がバネみたいに戻ってしまったのです。不潔恐怖症の私はそれを見て、「袋の内側についてたチョコレートの粉が周囲に飛び散ってしまった」と思ってしまいました。テーブルの上には幸いにもチョコレートの粉らしきものはなくて、でもこたつぶとんの上には粉がついてるような気がして、気持ち悪くてイライラして、イエスさまに「いつも(不潔恐怖症サタンに)苦しめられてるのに、守ってくださってもいいじゃないですか!どうせきょう一日も守ってくださらないんでしょ?!」って言って、そのあとずっとイエスさまに「ふんっ」って怒ったまま背を向けていました。いつもは何かあると「イエスさま」「イエスさま」って言ってるのに、ずっとイエスさまに口をきかない状態でいると、つらくて苦しくて、歯磨きしてるとき、ふいに「恵みある主」(聖歌487番)の歌詞が浮かんできました。「恵みある主まさずばひとときだにえ耐えじ」。ずっとイエスさまを無視してた私は、とうとう「イエスさま、ひとときだにえ耐えじです」って言いました。涙が出ました。たぶん恵みとは、どんなときでもイエスさまが私とともにいてくださることなんだと思います。つらいことがあっても、イエスさまが私の手を引いて、また私を背負ってくださるんだと思います。イエスさま、ごめんなさい。いつも私とともにいてくださってありがとう。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。(詩篇 23篇1-6節)

恵みある主 まさずば
ひとときだに え耐えじ
わが慕う主よ ああ恵みませ
今ながもとに 行く身を
(聖歌487番)

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