2016年8月28日(日)


学習できましたよ

ホントはきのう草取りするつもりでした。「天気予報サイトA」は雨マークがところどころに付いていて微妙な感じ。私はイエスさまに「(台風が来る前に)あした草取りしたいから、できればここらへんは雨降らせないでほしいです。でももし雨の音が聞こえたり、壊れたといから雨水が落ちるビチャビチャいう音が聞こえたら、草取りはしないことにします」って言いました。次の日予定通り早く起きたんだけど、雨のパラパラいう音もといからの雨水の音も聞こえなかったけど、一瞬パラパラに似た音が聞こえた気がしました。でもその時間は外はまだ真っ暗で、カーテンを少し開けて外を見ても、雨が降ってるかどうかぜんぜんわかりません。弱い霧雨みたいな雨だったら音しないよねと思って、以前草取りしている最中に雨が降り出して泥だらけになりながら草取りを続行したいやな思い出もあるので、このときはイエスさまよりも天気予報を信じてしまって、そのまままた眠ってしまいました。朝起きてカーテンを開けてみると、地面はまったく濡れていませんでした。「イエスさまがせっかく(私のために)雨降らせないでくださったのに」って思ったとき、「不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)のみことばが浮かんできました。イエスさまに同じことを言いました。そしてきのうまた「天気予報サイトA」を見ると、きのうけさの予報が外れたせいか、きょうの明け方の予報は用心深く(?)曇りマークばかりでした。「天気予報サイトB」はきのうの明け方に曇りマークばかり付けて当たったので、きょうの明け方の予報も自信を持って(?)今度は雨マークを付けていました。私はきのう天気予報を信じて草取りしなかったので、きょうはイエスさまを信じたいと思いました。けさ起きたら雨音は聞こえなかったので、草取りするつもりで服に着替えて髪もクリップやバレッタで留めまくって、外に出てみるとやっぱり雨降ってなくて、草取り終わるまで雨はまったく降りませんでした。「イエスさま、ありがとうございます。私、学習できましたよ(笑)」って喜びながら草取りしました。楽しかったです。

イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコの福音書 9章21-24節)

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