2017年10月13日(金)


うしろのものを忘れ

きのう高校の同窓会会報が届きました。私は高校の同窓会(学年別も含む)に行ったことがありません。それは高校生活が苦しかったからだと思います。恋をしたこともあるけど、それを懐かしむ気にはなれません。仲良しの友達もいたけど、会う気にはなれません。自分の力でやっとの思いで立っていました。思い出したくないです。一年に一度、同窓会会報が届くのですが、京浜同窓会(東京周辺に在住している卒業生の集まり)のほうは返信はがきに「今後は送付不要」のチェック欄があるのに今年初めて気づいて、チェックを入れて初めて返信はがきを送りました。でも地元から届いたきのうの同窓会会報に同封された返信はがきにはそんなチェック欄はやっぱりなくて、今年も送りませんでした。同窓会会報をぼんやり読んでいて、改めて思ったことは、あのときの私はイエスさまのいない世界で生きていたということ。そんな世界にはタイムマシンがあっても戻りたくないです。今まで生きてきて、たぶん今が一番幸せです。洗礼を受けてから、きょうでちょうど26年になりました。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ人への手紙 3章13-14節)

彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。(ピリピ人への手紙 3章19-20節)

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