2018年6月16日(土)


神さまへの悪口

こないだ録画した映画をきょうやっと見たのですが、登場人物のうちの2人が知り合いの女性の命が残り少ないことを知って、神さまに対する悪口というか当てつけみたいなことを言うシーンがあって、私は思わずリモコンで一時停止にしてしまって、「イエスさま、何て言っていいかわかんないけど・・」って言ったまま大泣きしてしまいました。最近は淡々と毎日を過ごしていて、ぬいぐるみやお人形に話しかけるような感じでイエスさまにもいろんなこと言ってる(礼拝とか家庭集会とか祈り会とかでは遠慮したほうがいいようなお祈り)けど、心がぼんやりしてる感じで、私のうちに住んでくださってる(はずの)聖霊さまはどうなってるのかなってちょっと不安になるほどでした。でもさっきの映画の中での神さまへの悪口と当てつけに対して、自分でもびっくりするほどの反応(大泣き)と、そのあと神さまへの感謝と願いがあふれるように出てきました。いつも淡々と過ごしていても、心の奥底の私の意識の及ばないところで、私のたましいは神さまが私にどんなによくしてくださったかをよく覚えてるんだと思いました。誰かの神さまへの悪口が、私の神さまへの感謝と願いを再確認するいい機会になりました。でも神さまに悪口を言うことは、神さまに関心ないよりずっといいんだよ。神さまがいつかその人の口に感謝をあふれさせてくださいますように。

私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。(詩篇 139篇14節)

あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。(詩篇 30篇11節)

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