2018年10月15日(月)


天の故郷

「自分の力で歩む必要なんてない。あたしには神さまがついてるんだ!」ってたんか切ってた。父は何も言い返せなかった。壁をドンドンたたいて目が覚めた。未だにこんな夢をみます。心の奥深いところにまだ悪夢のような青春時代の記憶が残ってるんだと思う。最初お隣のおばあちゃんに、「びっくりしたよ。(早朝に見てる)韓国ドラマの音がうるさくて怒ってるのかと思った」って言われました。私はあわてて、「違うの、違うの。夢みてたみたい。ごめんなさい><」って言いました。最近はおばあちゃん慣れてきたみたいで、「またドンドンやってたよ(笑)」。「ごめ〜ん><」。私はおばあちゃんに、大学時代に精神的におかしくなって神経科病院に入院したことや今も定期的に病院に行ってることは話しています。何が原因なのか、誰のせいなのか、はっきりは断定はできないけど、ひとつだけわかってることは、何かに支配されてがんじがらめになっていたということ。それを端的に示すみことばがコロサイ1章13節(下に引用)です。教師だった父の支配(モラルハラスメント)が原因だったのか、学校で人間関係を保っていく重圧が原因だったのか、はっきりとはわからないけど、とにかく私の心は破綻してしまいました。そんな苦しい日々を過ごしたふるさとに、私はもう二度と帰らないでしょう。きょう届いた高校の同窓会誌を少しめくったら、青春時代の闇がフラッシュバックして、虚無に飲み込まれそうになって、きょうは聴かないつもりだった「キリストの平和教会」の礼拝メッセージ(引用聖句は下に引用)をすがるように聴きました。そしたらひと息ついて、うれしくなりました。私はこの地上では旅人、寄留者なのです。やさしいイエスさまのご支配の中で憩い、天の故郷にあこがれている者なのです。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。(コロサイ人への手紙 1章13節)

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル人への手紙 11章13-16節)

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