2018年10月17日(水)


聖書カバーは断念

私はイエスさまを信じて初めて聖書(新改訳第2版)を買ったとき、キルティングの布を買ってきて、自分でミシンで聖書カバーを作りました。だからサイズの小さかった聖歌のカバーも同じキルティングの布です(→ 「私の聖書と聖歌」「きれいになった聖書カバー」)。でも最近、いのちのことば社の通販サイト「WINGS(ウイングス)」でいろいろ見てると、ピンクの花柄の聖書カバーがかわいくて欲しくて、私の聖書の寸法(B6)を測ったりしてると、表紙の裏側に茶色の斑点(カビ?)ができてるのに気づきました(聖書の本体部分の紙面は汚れてないので読むのは問題ない)。こんな汚い聖書のために新しいきれいな聖書カバーを買うの?と思って悩んでると、イエスさまのたとえ話の一節がふと浮かんできました(以下に引用)。「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れる」。だったらやっぱり「新しい聖書カバーには新しい聖書を入れる」ほうがいいかなと思って、最近発売された「新改訳2017」も買おうかと思って検討してたけど、「中型スタンダード」と「聖書カバー 小花(YUWA)中型用(B6)」でほぼ1万円するし、新しい訳の聖書を活用できるか考えたら、赤線も何も引いてないまっさらな紙面なので、やっぱ無理かなーと思って、聖書カバーも聖書も買うのやめました。でも「皮袋のたとえ」はあとで検索してみると、「聖書カバーと聖書」みたいなことではなく、短くまとめてみると、「古いぶどう酒は律法、古い皮袋は慣習に縛られたかたくななイスラエル社会、新しいぶどう酒はイエスさま(福音)、新しい皮袋は子どものような柔軟な心を持つ人々」みたいな感じかな。注文したものきょう届きました。→ こころのよるごはん

だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。(マルコの福音書 2章21-22節)

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