2021年10月15日(金)


落ち穂を拾うのは

神さまは気にかけてくださる方です。特に生活の苦しい「やもめ」や「孤児」「寄留者」を神さまは気にしておられます。旧約聖書にはいたるところにこの3者が出てきます。そして新約時代のパウロも、イエスさまからのメッセージとして「受けるよりも与えるほうが幸いである」とエペソの教会で示してきたことが書かれています。神さまは「自分の畑の落ち穂を拾ってはだめ、それはやもめや孤児や寄留者のもの」だと言われます。これは現代の福祉に通じるものがあります。代表的なものの中に年金がありますが、年金は若い元気な人が働いて納めた年金保険料を使って、年老いて弱った方の生活を支える制度です。わたしは以前からこんな個所を読むたびに、神さまの御思いを思ってたびたび涙が出そうになりました。そしてわたしはいつのまにか「ユニセフ」のマンスリーサポーターになっていました。またいつのまにかアパートの前の道(100メートルくらいある)のごみ掃除をする人にもなっていました。わたしが決心したからそうなったのではなく、神さまがそうしてくださったから、わたしは今のわたしになりました。→ 「落ち穂を拾う」

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(レビ記 23章22節)(@新改訳2017)

ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。(申命記 24章21節)(@新改訳2017)

あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました。このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。(使徒の働き 20章34-35節)(@新改訳2017)

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