このしもべは立つのです


はじまりは、激しい風が毎日のように吹き荒れる初夏の頃でした。その強風を受けて、ある一本のコスモスの茎が折れてしまったのです。私は今年5月の初めに、家のまわりにコスモスの種をまきました。去年の春頃、銀座を歩き回っていた(会社で「銀座のお店」のチェックをさせられていた)とき、あるスポーツクラブの人がコスモスの種を道行く人に配っていて、私ももらったのです(種の袋にはそのスポーツクラブの広告が入っていました)。

折れたコスモスは、茎は切れてなかったので、茎の周りに盛り土をして起こしてあげました。前にも他のコスモスが折れたとき同じことをしてあげたら、枯れずに育っていったから。そしてこのコスモスもやっぱり枯れずにいました。なのに2、3日後、再び強風が吹き荒れたのです。元気になりかけていたコスモスは再び風にもてあそばれて、朝起きて見たら、また地面に倒れていました。しかし今回は、私が起こしてあげようとしたら、ブチッという音がして、茎が完全に切れてしまったのです。こうなったらもうだめだと思いました。仕方ないから、私は茎の切り口をきれいにカッターナイフで切って、お水を入れたコップにさしてテーブルに置きました。「コップの中でいいからお花咲かせてね」。

でもコップの中のコスモスは、なぜか外にいたときのような元気がありません。しおれてないけど、葉っぱのつやも悪いし・・。外に出してお日さまに当ててあげたいけど、風が吹くとコップ倒れちゃうでしょ。。

コスモスをコップにさして2、3日たった頃、意外なことに気づきました、水につけている部分の茎の表面から、白い根のようなものが出てきているのです。そうだったんだと思いました。だから茎が折れてその折れた部分を覆うように土をかぶせてあげたコスモス、枯れずに育ったんだと思いました。じゃあ、もう少し根が伸びてきたら、土に戻してあげられるかも。。

その2日後、会社から帰ってすぐ、コップのコスモスを土に戻しました。お水もいっぱいあげました。しかし翌朝、会社行くためにあわただしく戸のカギを締めて、でも念のために、きのう土に戻したコスモスのところに行ってみました。するとグッタリおじぎしているのです。コスモスのてっぺんが地面に完全についていました。ショックでした。土に戻さなきゃよかった。。ごめんね。今お水あげたいけど、時間ないの。そのまま会社に行きました。帰った頃には猛暑の中で、しわしわになってるだろうなと思いました。

しかし幸いにも、会社から帰ったときのコスモスは、朝見たときと同じくらいのしおれ方を維持していました。でもおじぎして頭が地面に完全についている状態は変わりませんでした。いっぱいいっぱいお水あげました。強風と砂埃の中、お水をあげました。お水あげながら私は、「神さまは風でおまえの茎を折るし、治りかけた茎もまた折っちゃうし、たぶんおまえのこと枯れさせたいんだよ。あきらめた方がいいよ。私いちいちおまえの世話するの疲れちゃうの。神さまに何とかしてもらってよ。他の草だってちゃんと自分で生きてるでしょう」って私は少しイライラして言いました。そのころ毎日のように風が強くて、ムカついていました。ほこりや砂が入ってくるから暑いのに窓も開けられなかったのです(私の家にはクーラーがないのです)。「なんでこんなに風吹かせるんですか」って私自身も神さまに文句を言っていました。か弱いコスモスのことで自分の時間をやたら取られるのもイヤでした。

次の日も同じようにおじぎをしていました。もうどうでもいいやって思いました。「神さまを恨みなよ。神さまがおまえをこんなふうにしたんだから」。でもお水だけは一応たっぷりあげていました。でも枯れてしまわないから、「ひょっとしたら」っていう望みだけはもっていました。

翌日のことでした。その日は風が久しぶりにおさまっていました。私が洗濯物を干そうとして外に出てみると、なんと2日以上もおじぎをしていたあのコスモスが、まっすぐ上に向かって立っていたのです!すごいと思いました。同時に私の心の中に、次のみことばが浮かんできました。

あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。(ローマ人への手紙 14章4節)

元気になったコスモスに、「よかったね。神さまはおまえのこと枯らせたくなかったんだよ」って言ったら、涙が出ました。そのあと「がんばってお花咲かせようね」って言いかけて、やめました。「がんばらなくていいんだよね。神さまのこと喜んでたらいいんだよね。そしたら神さまがかわいいお花咲かせてくれるんだよね」。そして元気になったコスモスのそばで聖歌487番を歌いました。

恵みある主まさずば
ひとときだにえたえじ
わがしとう主よああ恵みませ
今ながもとにゆく身を

ともにまさばやすけし
いざのうもの去りゆかん
わがしとう主よああ恵みませ
今ながもとにゆく身を

きみまさずばこの世の
ものごとみな意味なし
わがしとう主よああ恵みませ
今ながもとにゆく身を

なさせたまえみむねを
みやくそくのごとくに
わがしとう主よああ恵みませ
今ながもとにゆく身を

ささげまつるこの身を
受け入れませわが主よ
わがしとう主よああ恵みませ
今ながもとにゆく身を
(聖歌487番)


神さまは私のことも死なせたくなかったんだよね。私も神さまのくださったいのちを喜んで生きたい。喜んで生きていくことができますように。。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書 6章30-34節)

しばらくして、あのコスモスはかわいい花を咲かせました。まるで神さまをいっしょうけんめい賛美するように。。。今ね、あのコスモス、家の東側に植えたコスモスの中で一番元気なんだよ。一番かわいいんだよ。


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