絶望するって・・・


お昼前からNHK教育で「赤毛のアン」をやっていたので見てたんです。そのときマリラの言葉がとても印象に残りました。アンが何かを嘆いて、「もう絶望だわ」って言ったんです。するとすかさずマリラが言いました。「絶望するって神さまから背を向けることよ」。

あー、そーかあ。もし私が絶望を感じているとしたら、神さまから背を向けてる証拠なんだ。だから神さまを見上げている限り、絶望なんてないんだー。うれしくておこたの中で涙ポロポロになりました。苦しいときも、悲しいときも、どんな悩みをもってても、絶望しなくていいの。神さまがともにいてくださるから。聖書の中の次の箇所をふと思い出しました。

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。彼は、しばらくは取り合わないでいたが」、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、昼夜神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカの福音書 18章1-8節)

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。(コリント人への手紙 第二 1章8-10節)


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