一つのからだ


1月5日は仕事始めでした。なのに私は全く歩む力がなくて。朝の電車の中ではつり革に両手でつかまって、吐きそうな気分。もちろん聖書も開けず。その日は仕事中もしんどくて、うとうと眠りそうになったり・・。やっとの思いで帰ったその夜、私はふと、前日に届いていたクリスチャンのOさん夫妻の年賀状に添えてあったみことばの箇所を聖書で開いたんです。

私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っている(ローマ人への手紙 12章6節)

そしてそのみことばのすぐ前のみことばに目を移したとたん、涙ポロポロになりました。

一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙 12章4-5節)

Oさん夫妻は、お二人とも体に障害をもっておられます。旦那さまは生まれて間もなくかかった小児まひの後遺症で、車いすなしではほとんど歩けず、両手も思うように動かせません。奥さまも大学入試直前に飛び降り自殺を図って、一命は取りとめたものの、腰の骨の複雑骨折などで、現在も歩行にはつえが欠かせません。私がお二人に最後にお会いしたのは、まだ2人のお子さまはいらっしゃらなくて、奥さまのおなかが大きかったときでした。その当時、私は大学卒業後すぐに就職した会社に勤務していました。精神的に苦しいとき、そのまま会社の寮(会社が賃貸マンションを借り上げて社員に家賃1万5千円(給料天引き)で住まわせてたもの)に帰りたくなくて、会社帰り、春日部(埼玉県)の家庭集会に行くようになって、そこでOさん夫妻と知り合ったのです。家庭集会の帰りはOさん夫妻の車(旦那さまが運転。身障者仕様の車)に乗せてもらって、最寄りの駅まで送ってもらっていました。私と年がほとんど同じだったこともあって、とても話しやすかったです。

その後私は、精神的な苦しみに加え、肉体的な問題で、春日部まで行く気力がなくなり、とうとうあるときからぷっつり行かなくなり、もう5年くらいたちます。でもOさん夫妻はあのころから毎年欠かさず年賀状をくださいます。年賀状に書かれたみことば(神さまのことば)を通して、慰めと力が与えられるのです。「これってイエスさまを通して互いにつながってるってことなんだー」ってすごく思えました。でも年賀状の返事に「ほんとは会いたくてたまりません」って書いたとたん号泣してしまいました。でも離れていても、会えなくても、「私たちはキリストにあって一つ」なのです。

夫婦でも、友達でも、家族でも、どんな人同士でも、お互いを見続ける限り、本当の意味で一つにはなれない、愛し合えない気がします。人間ってわがままだから。一人一人が神さまの方を向くことができたとき、初めて人はお互いを愛せるようになるんだと思います。神さまはそれを可能にしてくださる方です。


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