2010年6月20日(日)


人を裁かず自分をも裁かず

未だに「八日目の蝉」の希和子がかわいそうで、ふとしたときに思い出しては、涙が出そうになります。小豆島で薫といっしょに八十八か所のお寺参りをしてた希和子。神さまは希和子をあわれんでくださるはずと思う。イエスさまを信じてる私だけど、私は希和子をキリスト教会には連れて行けない気がした。八十八か所のお寺参りを続けさせてあげたい気がした。私も恵津子と同じように、気に入らない人を徹底的に攻撃しようとするところがあります。でも希和子はもう、丈博や恵津子を憎んでなかったと思います。自分のことも責めてなかったような気がします。薫を愛することだけで生きていた。だから薫と引き離されることになる逮捕を一番恐れていた。人を憎んでるとエネルギーを消耗します(疲れ果てます)。でも人を愛することは生きる力になります。人を裁かず、自分をも裁かず。こんな気持ちになったとき、希和子は神さまを求めたような気がします。神さまにすべてをおまかせする。裁判で、丈博と恵津子に非常識にも見える感謝をしてしまったのも、たぶん同じ気持ちからだと思います(ドラマでは、常識的な謝罪をしたら、希和子のこの気持ちを表現できないから、あえてあのセリフにしたんじゃないかと思っています)。希和子が薫に話したこの言葉が、はかなげで、希和子の気持ちを一番よく表していると思います。

「蝉にとったら、ちっとも短くないんだよ。だって人間の一生分だもん。毎朝、毎朝、ああ、神さま、きょうを迎えられてありがとうございますって、蝉は思うんだろうね。一日一日がとっても幸せで、胸が痛くなるくらいで。夜眠るのがもったいないくらいで。中にはちょっとだけ長く、八日くらい生きる蝉もいるかもね」 → 会話の全文は「希和子語録

しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙 第一 4章3-5節)

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