2013年3月4日(月)


「いつも通り」

同じアパートの女性二人と関係が悪くなっています。何でこんなことになるのかさっぱりわかんないです。そのうちの一人(→ こちらに少し書いてます)には、外で会ったとき、とりあえず謝りました。もう一人には、どう謝っていいかわからないので、もし会ったら、相手の出方を見て、挨拶するか無視するか決めようと思っています。「いつも通りにしてればいいんじゃない?」。近所のFさんのアドバイスです。最初はそんなことできそうにないと思ってたけど、最近少しずつ慣れてきました。今まで通り、外の掃除をやってます。けさもペットボトルを入れる網袋をごみステーションのフックに掛けて、前の道に落ちてたごみを拾いました。今までもやってたんだから、これからもやろうと思っています。幸い、あとの男性二人と夫婦一組とは関係はいいので、それがせめてもの救いです。3月に入ってみことばカレンダーをめくると、今月はヘブル10章39節でした。それがなぜかうれしくて。この先、この女性二人とどうなるか、楽しみになってきました(笑)。神さまといっしょに、ゆっくりゆっくり歩いていこうと思います。

あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめに会った人々の仲間になった者もありました。あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(ヘブル人への手紙 10章32-39節)

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙 12章19-21節)

というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。(ペテロの手紙 第一 2章15節)

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