2013年11月11日(月)


正しすぎてはならない

網袋をフックに掛けるために私はいつもペットボトルを月曜日に出しています。月曜日の朝8時30分くらいにペットボトルの回収車が来ます。缶(金属類)やびんは同じ月曜日だけどお昼頃回収車が来ます。私は朝9時頃セブンイレブンに買い物に行くので、買い物から帰ってすぐ、新しい網袋(ごみステーションの囲いの中に無造作に投げ込まれています。そのままにしてると風の強い日は網袋が飛んでいっちゃう)にペットボトルを入れて、網袋のひもをフックに掛けて(巻きつけて)洗濯ばさみではさんで固定します。最近はなるべく前の道やアパートの敷地内の掃除をしないように心がけてるけど、月曜日は網袋を触って手が汚れたついでに、前の道に落ちてるごみを手で拾ったりしています。先々週の月曜日、網袋をフックに掛けたあと、いつものようにごみを拾ってると、アパートの隣の一戸建てのSさん(奥さん)が大きな犬を散歩に連れて行こうとして、でも門を出たすぐの木の陰でしばらくじっとしているのに気づきました。私が前の道でごみを拾ってるから、出かけにくかった(私に会いたくなかった)のかもしれません。少しショックだったけど、さりげなく「おはようございます」って言うと、彼女も「おはようございます」って返してくれました。そして犬をつれて散歩に出かけていきました。内気な主婦が買い物に行きたいけど、外で近所の主婦たちが立ち話をしてて、そこを通らないと出かけられないから、買い物に行くことをためらっている状況と似てるのかもしれない。でもSさんは内気じゃないと思う。「あの人よく掃除してくれるけど、私は掃除しないから」と思って、少し後ろめたくて、私に会いたくないのかもしれない。そんなことを思ってたとき、ふと、「正しすぎてはならない」(伝道者7:16)っていうみことばを思い出しました。さっそく検索してみました。そして見つけたブログの記事、「「正しすぎてはならない」−Let it be -」。正しすぎる私の心にその文章はやさしく語りかけてきました。涙がこぼれました。この牧師先生の書かれた本を読んでみたいと思いました。→ きょう届いたもの

あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。(伝道者の書 7章16-18節)

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙 5章7-8節)

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