2015年2月1日(日)


とうとう記入しました

2004年10月に同じ町内から今のアパートに引っ越してきて、その挨拶のときに渡そうと思って、東武百貨店の地下で小さな袋に入ったかわいいクッキーを部屋の数分買いに行ったんだけど、そのとき船橋駅の改札の近くで数人の人が何かを配っていました。私は差し出されたもの(厚紙のケース)を素直に受け取りました。帰って開けてみると、中には臓器提供意思表示カードとシールとその説明書が入っていました。その当時はイエスさまが私をせっかく生き返らせてくださろうとしてるのに、私が勝手に臓器を提供したら、生き返るものも生き返らなくなっちゃうって変な心配をして、臓器提供意思表示カードに記入する決心がつきませんでした。そしてその厚紙のケースは10年ものあいだ、私の部屋のテーブルの上に置きっぱなしになっていました。臓器移植(臓器提供)のニュースはときどき耳にしてきたけど、カードに記入することはありませんでした。なのに先週ふと、私の死後(脳死後と心臓が停止した死後)病気で苦しんでる人に笑顔が戻るなら、私の臓器を提供してもいいと思うようになりました。そう思ったきっかけの中に、この世で生きるつらさもあったかもしれない。でもそれ以上にイエスさまがお迎えに来てくださることを望んでたからのような気がします。この世の朽ちていくからだを脱ぎ棄てて、私のたましいはいつかイエスさまのところ(天国)に行くのです。→ 臓器提供意思表示

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル人への手紙 11章13-16節)

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(コリント人への手紙 第二 5章7-8節)

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