2017年10月5日(木)


証しできるかな

先週木曜日に「いのちのことば社」で注文したものが、きょう夕方届きました。クロネコメール便だったので、そのままドアポストに入れてくれて助かりました。今回は殺風景な台所の壁に何か掛けたくて、いろいろ考えてたら、カタロクでみことば入りのタペストリー(壁掛け)を見つけて、「あーこれ、証しになるかも」と思って注文しました。このあいだお隣のおばあちゃんが私が(掃除の後)手を洗ってるとき、「コンコン」ってドアをたたくので、私「開いてますよー」って言ったら、おばあちゃんドアを開けて「さっきのユリ、植え直して、ひもで倒れないようにして、肥料もあげたよ*^^*」。「あ、ありがとー*^^*。手洗ったら、見に行くー」。私は手を洗いながら、おばあちゃんと話してたとき、台所の壁の話になって(私のところは入居時にリフォームしてくれてなかった)、こういうときにクリスチャングッズが壁に掛けてあったりしたら、おばあちゃんの目にも留まって、証しになるんだろうなと思いました。私はここに引っ越してきて(12年になるけど)、自分がクリスチャンだってことをまだ誰にも言ってません。私が前の道(アパートの前だけじゃなくてもっと広範囲)を(雨が降ってない日は)ほぼ一日も欠かさず掃除をしてることは、同じアパートの人だけじゃなくて、ご近所さんもみんな知ってると思うから、イエスさまの香りはいつのまにか出てるのかもしれません。でも私は(この世的には)ダメなところだらけだし、聞かれてもいないのに「私はクリスチャンです」なんて、恥ずかしくて言えないと思ってました。香りは私が放つものじゃなくて、私のうちに住んでくださってるイエスさまが私の思いに関係なく放ってくださるんだと思うから。でも台所の壁にクリスチャングッズを掛けておくのもいいよね*^^*。→ 麻布タペストリー

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。(コリント人への手紙 第二 2章14-15節)

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(コリント人への手紙 第二 4章7節)

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