2021年1月29日


御蔵稲荷神社の鳥居1
先週(→ 「散歩 2021年1月22日」)に引き続き太宰治の文学散歩(笑)です。太宰治が船橋時代に出版した短編集「晩年」の口絵写真に使われている自身の写真は、この神社で撮影されたようです。

御蔵稲荷神社の鳥居2
鳥居の中央にはちゃんと「御蔵稲荷神社」と書かれています。盲腸炎の手術後の療養のために船橋に引っ越した太宰だけど、手術後の痛みを抑えるために使っていたパビナール(麻薬性鎮痛剤)依存(中毒)がひどくなり、東京の武蔵野病院に強制入院させられることになり、船橋を離れることになるのです。

御蔵稲荷の由来と謝恩の碑
太宰がパビナールを買うために通ってた川奈部薬局は現在もあります(宮本6丁目)。わたしも(同じ宮本6丁目にある)寺田医院(耳鼻咽喉科)にかかったとき、処方箋を川奈部薬局に持って行ってお薬をもらいました。

九日市村郷蔵跡
太宰はこの神社にお参りすることが心の慰めだったようで、よく通ってたそうです。

手を清める場所1
だから「晩年」の口絵写真にもこの神社で撮った写真を使ったんだと思います。

手を清める場所2
このころの太宰はまだ聖書のことは何一つ知りませんでした。

灯籠1
太宰が聖書のことばに触れるようになるのは、船橋を離れてからでした。

灯籠2
同じ武蔵野病院に入院していた人から新約聖書の解説書を借りて、入院中は聖書だけ読んでいたそうです。

本殿と両側の狐
友達にクリスチャンもいて、その人から塚本虎二による雑誌「聖書知識」も借りて読んでいました。

右側の狐のアップ
太宰は明らかにイエスさま(神さま)を求めていたとわたしは思います。

本殿のアップ
船橋時代の太宰はあの赤と白の紐を引っ張って、鈴をガラガラ鳴らしていたんでしょうか。

本町中央公園
御蔵稲荷神社の右隣りは何と公園になっていました。

公園の名前が書かれた柱
本町中央公園だって。Googleマップ見てたけど気づきませんでした。

「歴史の散歩道コース」の看板
「歴史の散歩道コース」の看板がありました。太宰治については夾竹桃のことが書かれていただけ。

「船橋御殿跡」の看板
「船橋御殿跡」の看板もありました。江戸時代のことだって。

水飲み場
公園にお約束の水飲み場。

裸婦のブロンズ像
天沼弁天池公園(→ こちら)の入り口にあったブロンズ像とよく似てる。作者は同じ人なのかな。

梅の木1
梅がもう咲いてました。きょうは真っ青な空。

梅の木2
公園の一角が梅の林みたいになってました。

本町中央公園の奥
公園の奥に歩いていきます。

ベンチと砂場と滑り台
ベンチや砂場や滑り台がありました。ハトさんもそばに寄ってきてくれました。

公園の時計
やだもうこんな時間。早くクリニックに行かなくちゃ。

花壇
帰り際に見つけた花壇です。花がいっぱい咲いてます。

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