退院する日の最後の食事は、 朝だったかお昼だったかよく覚えていません。 でも覚えていることが一つあります。 ケーキがついていたことです。 ある日わたしが 「ここを出たい」って 先生に訴えたら 「今やってる 英字新聞の 翻訳が終わったら 退院を認めます」 と言ってもらえた のです。わたしは 早く出たくて、英文の 記事を少しずつ飛ばして翻訳しました。 要するに「ズル」をしたんです。 そして先生に「翻訳終わりました」って言った日が、 たぶんクリスマスイブの前の日でした。 |
今思うと真面目に翻訳作業をしてたら、 たぶん退院は年明けになったはずです。 そのくらい「ズル」をしてたのに、 先生は何も気づいてないみたいでした。 でも翻訳はあくまでも訓練の一部なので、 気づいてないふりをしてただけかもしれません。 最後の食事のケーキを食べながら、 クリスマスは恋人たちの日だから わたしには関係ないと思っていました。 意地悪されてるみたいな感覚でした。 クリスマスの意味をまるで知らなかったわたし。 でも確かにこの直後から、 イエスさまのお導きが始まるのが、 今になってわかるのです。 その後友達のやっちゃんが貸してくれた 三浦綾子さんの「道ありき」。 途中太宰治にはまってしまったけど、 その中に引用されている聖句を 大学入学当時にもらった(新約)聖書で確認したり。 大学の教室に一人でいたとき誘われたセミナー (今思うと危ない感じ)に参加するために、 別に旧約聖書(たぶん口語訳)も買ってみました。 太宰治関連の書籍を神保町(東京)の古書店で 探しているとき、佐古純一郎さん(文芸評論家・ 牧師)の本「太宰治におけるデカダンスの倫理」にも 出会いました。その後「道ありき」を本屋さんで 見つけて再び手にした(今度は買った)あとは、 三浦綾子さんのほとんどすべての本を 涙をこぼしながら読み漁りました。 |
そしたら普通は自分で教会を探して 行ってみると思うんだけど、 わたしは自分の力で教会に行けなかったんです。 まず自分で電話帳で探して、会社帰りに 冬の暗い道をうろうろしてやっと見つけたのに、 教会は閉まっていました。 それでもやっぱり諦めきれずに、 今度は会社にいるとき、その教会に 電話してみました。でも冷たく事務的で、 礼拝の曜日と時刻などを告げられただけでした。 思ってた教会のイメージとはぜんぜん違って がっかりしました。だから当然教会に行く勇気は 持てず、やがて会社にも行けなくなりました。 → 「私が神さまのところに来るまで」 |
英字新聞の翻訳の「ズル」をしても、 会社の業務をほったらかしにして 教会に電話するようなわたしでも、 神さまはもう決めておられたんだと思います。 神はキリストにあって、天上にあるすべての 霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、 この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、 傷のない者にしようとされたのです。 (エペソ人への手紙 1章3-4節)(@新改訳2017) |