2019年2月15日(金)


お手紙書いてみた

こないだの「遺品整理業の人へ」の続きです。クリニックに行って血液検査と尿検査したけど異常なくて、でもまだおなか痛いし、でもこれ以上細かな精密検査をするためにいろんな病院(いろんな科)をはしごする元気もないし、それに何よりも人間の右往左往で100%死を回避できるわけでもないし。私は神さまの決めておられる道が最善だってことを信じてるので、私の今の思いが神さまの思いと同じだったらいいなって思ってたりもするんです。私の死によってお隣のおばあちゃんや(反対側の)お隣のご夫婦が私の信じてる神さまを慕うようになるかもしれないし。これは遺書なんだと思います。下書きもせずにとりあえず書いてみました。→ ぶっつけ書き置き

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(ペテロの手紙 第一 2章19-21節)

  コメントを読む()


BACK