2020年11月14日(土)


死後のお話をする

おとといきのうとお隣のおばあちゃんの部屋から音がしなくて、わたしおとといはおばあちゃんのスマホに電話したけど出なくて心配してたんだけど、けさ会ったので聞くと、「友達と遊びに行ってた」んだって。「お店の音(音楽?)がうるさいから聞こえなかった」みたい。それをきっかけに死んだ後のお話が始まりました(笑)。お互いに神さま信じてるから「死ぬのは怖くはない」で一致。わたしは「お迎え(これキリスト教用語じゃないかもしれない)はいつでもいい」って言いました。わたしの骨はかび臭いお墓の中じゃなくて、粉にして「お花畑にまいてね」ってことや、わたしは「臓器提供意思表示」してるので、脳死になったら臓器が無駄にならないように待ってる人に届けてほしいこと、お人形やぬいぐるみをごみとして捨てないでほしいから、「遺品整理業の方への手紙」を書いたことなど話しました。おばあちゃんもわたしと同じように溺れたことがあるらしく、「骨をまいてもらうなら海はいや」って言ってました。「みいたん(→ こちら)もつれていきたい」ってイエスさまに言うつもりなのは、以前から一貫して変わらない(→ 「幸せだよ」)けど、どこで召されるかわからないので、いろいろ楽しみでもあるけど不安でもあります。神さまはすでに決めてくださってるんだと思うけど。部屋の中で静かに召されるなら、みいたんのこと言えそうだけど、外にいるとき、暴走車(最近よくある「アクセルとブレーキを踏み間違えた」など)にはねられて頭部を強打して脳死状態になることもあると思うし。そんなときみいたんのこと言えるかなって心配。でも脳死状態になったら臓器提供できるから、それを無駄にしたくないから、お出かけするとき以外(前の道を掃除中のとき)にも臓器提供意思表示カードを携帯(会社の社員証みたいにひもで結んで首にかけてカード自体は見えないようにポケットに入れる)しておいたほうがいいのかも。でもおばあちゃん「わたしはまだまだ生きるよ〜(笑)」って。それを言うならわたしも100歳過ぎてもまだ生きてたりして(笑笑)。

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